べらぼう鱗形屋は重版事件で退場?史実はその後に没落?

べらぼう鱗形屋は重版事件で退場?史実はその後に没落? ドラマ

大河ドラマ「べらぼう」第6話で鱗形屋が重版事件で退場となりました。

そんな鱗形屋の重版事件ですが、

「重版事件って具体的に何が起こったの?」

「史実ではこの事件の後、鱗形屋はどうなったの?」

こうした疑問を抱いている方も多いのではないでしょうか?

今回は、以下の大河ドラマ「べらぼう」の鱗形屋の重版事件について調べてみました。

  • べらぼう鱗形屋は重版事件で退場?
  • べらぼう平沢常富史実では何した人?

それでは、「べらぼう鱗形屋は重版事件で退場?史実はその後に没落?」の記事をお届けします。

べらぼう鱗形屋は重版事件で退場?

大河ドラマ「べらぼう」の第6話で、鱗形屋は重版事件をきっかけに大きな打撃を受けます。

片岡愛之助さん演じる鱗形屋孫兵衛はドラマ「べらぼう」から退場する可能性が高いですね。

片岡愛之助さん演じるキャラは途中退場が多いため、視聴者もその可能性を気にしているようです。

鱗形屋の重版事件とは何か?

ドラマ「べらぼう」の重版事件とは、江戸時代の出版業界で起こった著作権侵害問題です。

蔦屋重三郎と鱗形屋孫兵衛が新しい挿絵入りの青本を作る計画を立てました。

その中で須原屋から偽の「節用集」が出回るという問題に直面します。

これにより、出版業界全体の信頼が揺らぎました。

特に鱗形屋は偽板の販売に関与していたとして責任を問われます。

それが原因で罰金を科せられる事態に陥ります。

鱗形屋の今後の展開とは?

ドラマ「べらぼう」での鱗形屋の重版事件後の展開予想は

  • 偽板の流通に関与していた疑いで罰金を科される
  • 出版業界での信頼を失い、地位が揺らぐ
  • 蔦屋重三郎との関係も悪化し、立場を失う

この流れから鱗形屋は「重版事件」によって、ドラマ「べらぼう」から姿を消すことになる可能性が高いです。

また、フィクションであるドラマ「べらぼう」。

重版事件をきっかけに別の陰謀が絡んできたり、命を狙われたり、逃亡したりする可能性も。

もしかしたらこれまでの片岡愛之助さんの役柄の流れからすると、劇的な退場シーンもあり得るかもしれません。

べらぼう鱗形屋の重版事件後の蔦屋重三郎浮かない顔の理由とは?

一方、重版事件後に業界での地位を固めた蔦屋重三郎。

ドラマ「べらぼう」で蔦屋重三郎はが浮かない顔をしている場面が描かれています

その理由は、

  • 鱗形屋との関係が悪化し、出版界の仲間を失った
  • 出版業界の厳しさを改めて痛感し、自らの将来に不安を抱いた
  • 「棚ぼた」で成功したのではなく、自分も常に危険と隣り合わせであることを実感した

といった心理が影響しているのかもしれません。

べらぼう鱗形屋は重版事件後の史実は没落?

史実では鱗形屋は重版事件後に急速に衰退し、最終的には出版業から撤退しました。

鱗形屋の衰退の年表は、以下となります。

  • 1775年:第一次重版事件が発生。
  • 1777年:第二次重版事件が発生。
  • 1778年:大名家の家臣の不正に関与した疑いが浮上。
  • 1779年:出版点数が6種類にまで減少。
  • 1780年:黄表紙の出版がゼロ、事実上の廃業。

鱗形屋は第一次重版事件による信用失墜!

鱗形屋の手代・藤八が無断で「早引節用集」を重版し発覚。

安永4(1775)年に大坂の版元から出版された『早引節用集』を鱗形屋の手代・藤八が『新増節用集』と改題して出版してしまいます。

和樂

罰金20貫文と手代の追放処分を受けます。

1775年の重版事件が起きる前、鱗形屋は41種類もの黄表紙を出版する有力な版元でした。

しかし、事件後は出版点数が激減し、1779年にはわずか6種類しか出版できなくなります。

この時点で、すでに経営の悪化は明白でした。

鱗形屋は第二次重版事件での決定打!

鱗形屋は最初の重版事件で信用を失いましたがそれでも立て直そうとしていました。

しかし、1777年には再び違法な重版を行います。

今度は手代の徳兵衛が「新増節用集」を無断重版。

この時の処分も非常に厳しく、徳兵衛は家財没収のうえ江戸から追放。

安永6年(1777)に、今度は同タイトルのまま、使用人の徳兵衛が出版してしまったのです。さすがにお咎めなしとはいかず、重版を行った徳兵衛は家財没収・追放、代表であった孫兵衛にも重い罰金が課せられました。

和樂

鱗形屋には再び20貫文(約90万円)の罰金となります。

信用回復どころか、さらなる打撃を受けることになりました。

鱗形屋は別事件で致命傷に!

さらに追い打ちをかける事件が。

1778年鱗形屋が大名家の家臣の不正に関与した疑いがかかります。

安永7年(1778)、江戸の老舗出版社の主人・鱗形屋孫兵衛は、大名家の家臣が主家の宝物を質入れするのを仲介した罪により、信用が大きく失墜します。

東洋経済

これにより、業界内での信用は完全に崩壊しました。

鱗形屋は完全な没落へ !

1779年の時点で、出版点数は6種類にまで減少。

最盛期には、41種類の黄表紙を販売していた鱗形屋ですが、1779年(安永8年)には6種類まで減ります。

名古屋刀剣博物館

そして1780年には、ついに黄表紙の出版がゼロに。

鱗形屋は経営を続けることができなくなり、実質的に廃業へと追い込まれました。

つまり、1775年の重版事件が引き金に。

そして続く違法行為によって徐々に信用を失い、最終的に完全に没落したということです。

まとめ

「べらぼう鱗形屋は重版事件で退場?史実はその後に没落?」を最後までご覧いただきありがとうございました。

「べらぼう」の第6話では、鱗形屋孫兵衛が「重版事件」によって大きな打撃を受けました。

また、史実においても鱗形屋は重版事件によって大きく衰退し、最終的に没落します。

今後の放送では、鱗形屋の最期がどのように描かれるのか、そして蔦屋重三郎がどのようにこの事件を乗り越えていくのか!

引き続き注目ですね!

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