『あかね噺』阿良川一生(あらかわいっしょう)は、朱音(あかね)の父の阿良川志ん太らを破門にした阿良川一門のトップです。
そんな阿良川一生のモデルは三遊亭圓生(さんゆうていえんしょう)と言われています。
一方で阿良川一生のモデルが立川談志(たてかわだんし)とも言われる理由について紹介します。
そこで今回はあかね噺の阿良川一生のモデルについて以下のことをまとめました。
- 【あかね噺】阿良川一生のモデルは三遊亭圓生?
- 【あかね噺】阿良川一生のモデルは立川談志と言われる理由は?
ということを「【あかね噺】阿良川一生のモデルは三遊亭圓生!立川談志と言われる理由は?」と題して記事をお届けします。
【あかね噺】阿良川一生のモデルは三遊亭圓生?
あかね噺の阿良川一生のモデルは、三遊亭圓生と原作者の発言として紹介されています。
しかし、明確なインタビューなどは見つかりませんでした。
ですが、モデルと言える部分はあります。
その理由は、芸に対する厳格な姿勢が一致するからです。
阿良川一生は、朱音の父の志ん太たちを破門にしました。
これは、落語家として本物以外は認められない阿良川一生の信念からだと考えられます。
そして三遊亭圓生の厳格な姿勢に関しては、落語協会分裂騒動が挙げられます。
1978年、真打の大量昇進に反対した三遊亭圓生が、当時の落語協会を脱退した事件。
圓生は理想の芸を守るため、新団体「落語三遊協会」を設立。
三遊亭圓生は、真打昇進の基準が甘いことに不満を持ち、協会を脱退しています。
とうとう明かされた破門の理由。阿良川一生、真打に対する考え方は、談志師匠というより圓生師匠だ! #あかね噺
— 青乃家 (@hangonkoh) August 29, 2022
以上のことから、阿良川一生の考えには圓生が投影されていると考えられると言えます。
ということで、公式な言及は見つかりませんでしたが、あかね噺の阿良川一生は三遊亭圓生の落語に対する姿勢がモデルになっていると言えます。
阿良川一生以外に三遊亭圓生がモデルがいる?
阿良川一生以外に三遊亭圓生の名前をモデルとして三明亭円相(さんめいていえんそう)が考えられます。
公式な明言はありませんが、名前の類似性は明らかです。
その理由は、文字や響きに強い共通点が見られるからです。
- 三明亭円相: 「円」の字と「エンソウ」の響きが、圓生(えんしょう)に酷似する。
- 屋号の三明亭: 圓生の屋号である「三遊亭」を文字ったオマージュのようである。
以上のことから、名前の類似性はモデル説を支えています。
#wj40#あかね噺
— うえびれ 健全 (@lRqTp5VaQxTyblu) September 4, 2022
すげえ意外
一生以外にも三遊亭圓生モデルらしき人が出てきた
驚き
ただ一生が言ってる事って完全に圓生の言ってる事と一致してる事から考えてひょっとして圓生の身勝手な部分を三明亭円相にかぶせるんだろうか
だとしたら相当えげつない話になりそうで今から怖い
ということで、三遊亭圓生は、阿良川一生の考え方のモデル、三明亭円相の名前のモデルといえます。
阿良川一生と三遊亭圓生の「生」の字を揃えているところにも関係を匂わせてるように感じます。
阿良川一生のモデルは立川談志と言われる理由は?
阿良川一生のモデルが立川談志さんと言われる理由は、阿良川流は落語立川流がモデルと言われているからだと考えられます。

落語好きが見れば阿良川一門はどう考えても落語立川流。
阿良川流が立川流と言われているのは以下の理由が言われています。
- 落語界の五派で、流を使っているのは立川流のみ。作中に阿良川流と言われている。
(「落語協会」「落語芸術協会」「円楽一門会」「立川流」「上方落語協会」)- 三遊亭圓生の脱退から数年後、立川談志も落語協会の真打昇進方法に反発、脱退。
- 厳しい二つ目、真打ちへの昇進基準。多くの団体は年功序列。
- 弟子に対して非常に厳しく、頻繁に破門をした。
一方で、作中で阿良川一生は自分の弟子以外を破門しています。
ですが、立川談志はもちろん、落語界で自分の弟子以外を破門にすることはできません。
ということで、阿良川一生のモデルが立川談志と言われる理由は、阿良川流は立川流がモデルと言われているからだと考えられます。
そして、落語に対しての厳しさや、漫画ならではの破門の設定で厳しさや破天荒さの表現が阿良川一生に立川談志を想起させていると考えられます。
阿良川一生のモデルが立川談志と言われるエピソード1
阿良川一生のモデルが立川談志と言われる理由のエピソードは、阿良川一生が「芝浜」への思いが強いように描かれていることです。
立川談志の十八番は、「芝浜」と言われてます。
そして、志ん太の演目は芝浜でした。
その後の阿良川一生の表情は1話で描かれています。

この表情に、芝浜に強い思いがあるように見えます。
ですので、阿良川一生の思い入れがありそうに見える芝浜が立川談志の十八番だからです。
阿良川一生のモデルが立川談志と言われるエピソード2
阿良川一生のモデルが、立川談志と言われる理由のエピソードは2002年のМ−1です。
立川談志さんはテツandトモに対して「お前ら、ここに出てくるやつらじゃないよ」と評しました。
それは、すでに実力があることを認めていることからの発言と言われています。

そして、阿良川一生は朱音の落語の講評に「ここはお前が来ていい場所じゃない」と伝えました。
この大会は、可楽杯で学生落語選手権でアマチュア落語家や新人が集います。
阿良川一生の発言は、他の出場者と格の違いを見せた朱音の実力を認めての発言と考えられます。
ということで、阿良川一生のモデルが立川談志と言われる理由は、芸への講評の言葉と意図が類似しているエピソードがあるからです。
まとめ
「【あかね噺】阿良川一生のモデルは三遊亭圓生!立川談志と言われる理由は?」を最後までご覧いただきありがとうございます。
今回はあかね噺のモデルについてまとめました。
- 阿良川一生のモデルは三遊亭圓生と言われているが末永裕樹さんの発言は定かではない。
- 阿良川一生のモデルは立川談志と言われる理由は、阿良川流が立川流と似ており、立川談志のオマージュと取れるエピソードがあるから。
阿良川一生は三遊亭圓生と立川談志どちらの要素もみられました。
あかね噺のキャラは落語家を複合的にモデルにしている可能性がありそうですね。
原作者の末永裕樹さんは、インタビューで「漫画に散りばめた名前のもじりやネタを探して楽しんでほしい。」という発言をしています。
ですので、あかね噺の登場人物の名前や考え方に注目する楽しみつつ落語に詳しくなれそうですね。

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